hayariki Kilby事件 2000.9.1 Top
事案の概要
被告YはICに関する基本特許(Kilby特許)を 1960年2月6日に出願し(特願昭35-3745号)、65年公告、80年権利満了となった(Kilby 249特許 特許320249号)。旧特許法(大正10年法96号)9条(1)は,「二以上ノ発明ヲ包含スル特許出願ヲ二以上ノ出願ト為シタルトキハ各出願ハ最初出願ノ時ニ於テ之テ為シタルモノト看倣ス」と規定し,出願中に2件以上の発明が含まれている場合、出願の一部を抜き出す分割出願を認めている。この規定を利用してYはKilby特許から8発明を分割出願した(1964)。
そのうち1件(特願昭39-4689号)につき更なる分割出願を行った(1971.12.21特願昭46-103280号)。この出願公告に対しても日本の大手半導体メーカー12社から特許異議の申立があり、時間がかかったが、1986年に遂に特許査定を得た。これがKilby 275特許(特許320275号 本件特許)である。
XY間には1968年以来、半導体分野における包括的な特許クロスライセンス契約が存在し、互いの特許を利用し、特許料の差額を支払っていた。この契約は1990年末で終了し、契約更新時にYは本件特許の技術をXが使用していると主張し、ロイヤルティを請求した。しかしXは、同特許がICの絶縁方法としてトランジスタ同士の距離を離して置く方法が採られているのに対し、「絶縁方法がまったく違う」と反論し、特許料支払を拒否した。そのため旧契約(1991年発効)及び現行契約(1996年発効)では本件特許はライセンスの対象に含まれなかった。
XはYに対しX製品(イ号ロ号製品)につき、本件特許の侵害に基づく損害賠償請求権をYが有しないことの確認を求めて東京地裁に提訴した(1991.7.19)。Yも同日、Xに対し本件特許を侵害しているX半導体品の製造・販売の差止の仮処分を申請した。
一審判決(東京地判H6.8.31判時1510-35)はX製品が本件発明の構成要件を充足していないとして、Xの請求を認容した。特許のクレームには「半導体基板内に複数の回路素子を含み」とあって、それ以外の素子について触れられていない。従って、厳密に解釈すれば、基板の外に回路素子が1つでもあれば、特許に抵触しないことになる。X製のメモリでは、いくつかの素子が3次元的に積み重ねられる形になっており、一部の素子はシリコン基板の外に置かれていることになるので、本件特許の要件を満たしていない。
クレームには、電気的な絶縁のために「各素子間は…互いに距離的に離間して形成され」という要件がある。ところが、Xのメモリでは、近接した素子の間に楔形の絶縁体を入れることによって絶縁しているので、この要件に該当しない。以上から特許権非侵害と結論した。
Yはこの一審判決を不服として東京高裁に控訴、抗告した(1994.9.12)。高裁判決もXの請求を認容した(東高判H9.9.10判時1615-10)。同時にYの仮処分申請に関する抗告も棄却された。X製品が本件発明の技術的範囲に属さないという理由の他、無効とされる蓋然性が極めて高い特許権に基づく権利行使は権利濫用として許されないと判示した。
Yは特許権侵害訴訟においては、特許権を有効なものとみなして対象物件が技術的範囲に属するか否かを判断すべきであるにもかかわらず、本件特許権を実質上無効とする判断を行った高裁判決には、法令違反、審理不尽及び理由不備の違法があると主張して上告した。
判旨
「特許に無効理由が存在することが明らかで、無効審判請求がされた場合には無効審決の確定により当該特許が無効とされることが確実に予見される場合にも、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求が許されると解することは、次の諸点にかんがみ、相当ではない。
(一) このような特許権に基づく当該発明の実施行為の差止め、これについての損害賠償等を請求することを容認することは、実質的に見て、特許権者に不当な利益を与え、右発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので、衡平の理念に反する結果となる。また、(二) 紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましいものであるところ、右のような特許権に基づく侵害訴訟において、まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければ、当該特許に無効理由の存在することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないとすることは、特許の対世的な無効までも求める意思のない当事者に無効審判の手続を強いることとなり、また、訴訟経済にも反する。さらに、(三) 特許法一六八条二項は、特許に無効理由が存在することが明らかであって前記のとおり無効とされることが確実に予見される場合においてまで訴訟手続を中止すべき旨を規定したものと解することはできない。
したがって、特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり、審理の結果、当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。このように解しても、特許制度の趣旨に反するものとはいえない。」
評釈
特許法は特許無効審判制度を設け(特123)、特許の無効に関する第一次的判断を特許庁の職責とし、審決の取消訴訟の第一審を東京高等裁判所の専属管轄に服せしめている(特178(1))。そのため伝統的通説は侵害訴訟の受訴裁判所が特許権の有効無効を判断することは許されず、無効原因ある特許権でも無効審決が確定しない限り有効なものとして扱われるとする[1]。
この見解の根拠として公定力に基づくとする見解、無効審判は形成裁判とする見解、特許権者の救済手段がない点を上げる見解、憲法76(2)の反対解釈により許されないからとする見解がある。
この立場では侵害訴訟と無効審判が並行した場合、侵害訴訟を中止することになる。
しかし近時の有力説は無効事由ある特許権の行使を認めるべきでないという立場から、侵害訴訟で特許権者の請求を棄却するための理論構成が模索されている。
判例の多くはクレームを限定的に解釈することにより、被告の実施態様を特許権の技術的範囲外とすることで請求を棄却する。その中でも最狭義説、実施例限定説、公知事項除外説、技術的範囲確定不能説がある。
直接、特許無効の抗弁の抗弁を認める見解もある。その要件・根拠について、重大明白説、明白性不要説、具体的価値考量説、特許処分の公定力否定説、特許法123条列挙の無効事由以外の事由につき特許無効の抗弁を認める見解がある。
無効事由ある特許権の行使は権利濫用として許されないとする見解がある(大阪地判S45.11.30無体2-2-612、名古屋地判H3.7.31判時1423-116、大阪高判S51.2.10無体8-1-85)[2]。権利濫用を認めるための要件として、主観的要件や明白性が議論される。
しかし権利濫用は個々具体的な事案の内容により決せられるべき性質のものであり、無効事由ある特許権の行使を一律に権利濫用とするのは権利濫用の趣旨に反する。加えて無効事由ある特許権の行使は権利の本体に瑕疵があるが権利の行使態様は通常というケースであり、権利濫用の法理を用いるべきでない[3]。
特許発明の出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから出願時に容易に推考できた技術(自由技術)は何人も特許を受けることができなかった技術であり(特29)、本来自由に実施できるはずである。従って自由(公知)技術の抗弁説は対象物件が自由技術に属することが立証されたならば、それに対し特許権の効力を及ぼすべきではないとする[4]。
自由技術の抗弁は特許庁における無効審判手続を経ずして特許権を無効なものとして取り扱うことに帰着するが、このような取扱については何らの実定法上の根拠もなく、かえって特許法の予定する制度の趣旨に反するものであって認められないとする批判がある(東京地判H2.11.28判時1395-135、大阪高判S51.2.10無体8-1-85、東京地判S49.6.7判タ315-310パチンコ球計算機事件、東京地判S52.3.30無体9-1-30ハンダ付溶剤事件)。
しかし自由技術の抗弁は被告の実施技術と公知の技術水準との関係の問題であり、その判断は無効理由の存否とは無関係に決定できる[5]。